新時代の到来を告げたジャンボ プロゴルファー今昔物語〜尾崎将司編【1】

宮崎市の海岸にある「フェニックスリゾートクラブ」は、日本で初めてともいえる欧米風のゴルフ場である。日向灘に面した松林を切り開き、平たんで幅の広いコースが生まれた。さらにフェアウエーにはティフトワーフという洋芝を張り、グリーンにはティフトン芝を使った。それまではフェアウエーは野芝、グリーンは高麗芝が一般的だった。

コース完成を記念してメジャー公式戦「日本プロゴルフ選手権」が開かれた。1971年のことである。最終日、杉本英世らの実力者が死闘を繰り広げていた。ところが、後半、無名の若者、尾崎将司がみんなをスルスルと抜いてプロ初優勝を飾った。

尾崎は優勝インタビューを受けるために、クラブハウスの2階にあるプレスルームにやってくると、開口一番、「今まで生きてきた中で今日が最高」と叫んだ。そこには純粋無垢な若者輝く姿があった。私は「新時代がきた」と感じた。

プロ2年目の24歳で栄冠をつかんだ尾崎は、この年さらに4大会を制して、「ジャンボが旋風」を巻き起こした。180センチの大柄で明るい笑顔の尾崎は、今でいうアイドルのような存在となった。それまでゴルフに関心がなかった女性や子供までゴルフ中継を見るようになった。プロゴルフをメジャースポーツに変えたのはジャンボの功績が大きい。

徳島の海南高校時代は投手で、甲子園で優勝した。その後、西鉄ライオンズを経てゴルフに転向した。他のスポーツからの転向という点でもゴルフ界は稀有な人材を得た。

尾崎は113勝しているが、私はおそらく50勝ぐらいの優勝原稿を書かせてもらった。彼は少し照れ屋なところがあって人と話すのが苦手だったりするのだが、人間的には若いころからしっかりしたものを持っていた。

68歳になった今もレギュラーツアーにこだわり、相変わらずシニアの試合には出場していない。そろそろ“シニアの星”として活躍する姿を見せてもらいたいものだ(つづく)

WHO‘S WHO
尾崎 将司(おざき・まさし)1947年1月24日、徳島県出身。海南高時代は投手として64年の選抜大会で全国優勝。65年に西鉄に入団したが、わずか3年で退団してゴルフ界に転身。70年にプロテストに合格し、71年の日本プロで初優勝を飾る。通算113勝。賞金王12回。2010年に世界ゴルフ殿堂入り。181センチ、90キロ。

【2015年9月16日にデイリースポーツに掲載された記事を引用】