正義感にあふれ、社会福祉にも情熱を注ぐ プロゴルフ今昔物語~杉原輝雄編【3】

プロゴルファーとして数々の栄光に輝いた杉原は、徹底した頑固者でもあった。正義感にあふれ、お金のためにプロになったというが、社会福祉にも熱心で、いつも寄付活動に余念がなかった。

プログルファーの福祉と人権を守ろうと、選手会の立ち上げにも参加し、初代会長に就任している。しかし、日本のプロゴルフ協会などの役職には一切就かなかった。

私も仕事でしばしば一緒に旅をした。空港や駅で待ち合わせをすると、いつ行っても杉原は必ず先に来て待っている。こちらも別に遅れたわけではない。「負けてなるまい」とある時、えいや~と1時間前に行ったら、もう待っていた。人に迷惑をかけることがとにかく嫌いなのだ。

体が小さかった分、そのハンディを補うために体力協会に全力を挙げていた。毎週、東京まで通って加圧式のトレーニングに励んだり、家の近くの神社の会談を駆け足で何度も上がり下りしたりと、日々、血のにじむような努力を重ねていた。

杉原は思いがけない病魔に襲われた。下腹部の前立腺に小さながんが見つかった。初期であり、回復手術を勧められたが、頑として拒否した。「体にメスを入れたらゴルフができな」というのである。試合に出続けながら、放射線やその他の方法で治療を進めたが、2011年の暮れ、妻子の見守る中、静かに息を引き取った。

いまは大阪・泉北の土地に静かに眠っている。JR宝塚駅から車で20分ほどの新宝塚GCのクラブハウスには「杉原輝雄記念館」がある。遺品や記念品、写真などが飾られており、生前の姿がしのばれる。このコースも杉原が設計監修した。記念館は「命ある限り悔いなく生きる」お題した記念誌も出版した。

WHO‘S WHO

杉原輝雄(すぎはら・てるお)1937年6月14日、大阪府茨木市出身。1957年にプロ入りし、通算63勝(海外1勝。シニア8勝を含む)を挙げる。2011年12月28日に前立腺がんのため死去。

【2015年8月12日にデイリースポーツに掲載された記事を引用】