地元密着 アメリカ・高校ゴルフ部 ~薬師寺 広~

ティーグラウンドに中古車屋、地元スーパー、ファーストフードの広告立て看板が立っている。クラブハウス前のテントでは高校ゴルフチームの名前が入ったTシャツを売る保護者。隣ではホットドッグを焼くゴルフ部員。さながら小さなトーナメント会場の様だ。
この光景は息子の通う地元公立高校の年に一回おこなわれる部費集めの為のゴルフ大会。ゴルフ部員はこの日の為に本当に良く働いた。50ドルほどの立て看板をだしてもらうために走り回り、エントリーフィー60ドルのコンペ参加者集め、そしてコンペ会場を無償で貸してくれるゴルフ場の交渉など、全て部員が行い、運営する。米国のゴルフ部と聞くと、部費も潤沢にある様に思いがちだが、おぼっちゃまが通う有名私立校と違い息子の通う公立高校の部費は年間でたったの100ドル。これでは遠征費を始めチーム名の入った12人の部員のゴルフバッグはもとより、ユニフォームすら揃えられない。米国では独立心を養わせる為、保護者からの援助は受け付けないことが多い。高校を卒業するまで学校からゴルフに関わるお金を請求されたことは一度も無い。
只、この日は違う。私はスターター役を、息子はニヤピンホールの計測係にと、保護者も部員も大忙しだ。年間予算の約8000ドルはこうやって集めるのが高校ゴルフ部なのだ。アメリカの大学ゴルフ部ともなると、自前のコースを所有している大学も多く、練習もラウンドも自由に出来るが、高校は違う。地元のコースに協力を求め、放課後の練習や対抗戦に使わせてもらうのが通例だ。そのお礼として部員達は週一回、ゴルフ場で仕事をする。ボール拾いにカート番、草むしりにグリーンキーパーの手伝い。息子も高校を卒業するまで仕事をつづけた。

クラブのメンバーも彼らを温かく見つめているのが印象的だった。対抗戦に勝つと自分のことのように喜んでくれ、負けると一緒に悔しい思いをした。このような環境で練習を続けた息子が、15歳の時、フロリダ代表としてサン・ディエゴで開かれる「世界ジュニア」に出場したが、このときもメンバーの方々は我がクラブの誇り、と旅費などの経費を出そうと申し出てくれる程、応援してくれた。クラブで働く者は仲間として扱われ、PGAクラブプロからは無料でレッスンも受けられる。スポーツ用品メーカーのジュニアキャンプやゴルフアカデミーなど、年間で数万ドルもするスクールも数多くあるが、サラリーマンの私にとって払える額ではない。
しかし、リッチでなくても米国ではゴルフが出来るシステムがある。部費のために行うコンペでは、地元のゴルフ好きの方々が快く参加。毎年行われるこの大会が楽しみだと言う。対抗戦で相手高を迎え試合をする時でも保護者をはじめ、近所のゴルフ好きがやってきて声援を送る光景は実に微笑ましい。米国のゴルフ部は地元に支えられているのだ。

薬師寺 広(やくしじ ひろし)

1956年生まれ。瀬戸内海放送アナウンサーを経て独立。1996年から日本にむけ放送を開始したザ・ゴルフチャンネル実況担当アナウンサーとして渡米。2002年までの6年間で240試合の世界のトーナメントを担当。渡米中PGA・オブ・アメリカのティーチングプロの資格を取得するとともに、全米オープンの予選会、カナダツアーのマンデー挑戦、ミニツアー等に参戦する。現在はゴルフ雑誌に寄稿、TVのラウンドリポーターとして出演。