プレスルームの変遷  ~甲斐 誠三~

現役を引退してから5年が過ぎた。しかし、未だに見る夢のひとつに電話を探しているシーンがある。いまは携帯電話があり、電話の苦労など全くないが、わたしが記者活動を始めた1950年代は、原稿を送るために、まず電話探しが不可欠だった。ゴルフ場で仕事をする時も、事務所に交渉して電話を貸してもらうか、近所に公衆電話または民家の電話がないかを調べるのが先決だった。
電話送稿の時代が過ぎる頃になって、電話事情がよくなり、プレスルームも充実し、広報専門の会社ができるくらい、主催者やゴルフ団体の広報活動が盛んになった。70年代にプロゴルフが急に拡大してくると、プレスルームでは次第にファクスの時代となり、原稿用紙の桝目にきちんと良く分かる字で、現代仮名遣い、当用漢字を厳守して、清書することになった。また80年代にはいると、ボツボツとワープロ時代に入り、文章を書くこととは、キィを叩くことというように変化した。90年代には、ワープロにパソコン通信ソフトを内蔵させて、数秒間で送稿できるようになった。さらに新聞社や雑誌社の印刷がコンピュータでコントロールされることになり、現在は、ほとんどのマスコミがノートパソコンによる、原稿作成と送稿を実施している。
この半世紀でゴルフマスコミもIT化を遂げたわけだが、本質的には、ゴルフを書くということでは、変わりはないはずだ。だか、各マスコミを観察していると、どうも個性的な原稿が少ないように見える。パソコンで時間も手間も簡単になり、情報収集も楽になったはずで、より時間をかけて原稿ができるのではないかと思うのだが、かえって、情報が豊富すぎ、さらに機械化の弊害が個性化を妨げているのかも知れない。
電話送稿時代は前文などの短い原稿は、書かずに吹き込んだりしたものだが、ファクスになり、初めてちゃんとした綺麗な原稿が要求された。ワープロ、パソコン時代になると、文章作成が機械化されて、さらに個性を失ってきたのかもしれない

現在は、わたしも原稿はワード2000で叩き、メールで相手方に送稿している。慣れると、こんな便利なものはない。ただ、字を忘れていくような気がする。さらに、難しくて、実際には使用していない字も簡単に出てくるので、つい使ってしまう。これらを考えて見ると、手書きの精神を忘れないように努めることが大切だろう。
プレスルームの変化は時代とともに必要で、仕方がないことだが、手書きを忘れてはいけない。広報機関の充実により、自分で取材する機会が少なくなってもいけない。ジャーナリストとしては、自分の目で見て、手書きする精神を忘れないように自戒している
昨年から本協会に関西地区事務局が設置された。関西地区は関東に比べて、マスコミ機関が少なく、フリーのジャーナリストがなかなか成立しない。だが、会員が徐々に増加しており、近く関西支部を設立する予定。関西独自の事業も考えられる。関西各地区ゴルフ連盟へのアプローチや新聞放送各社へのPR活動を始めているが、皆さんのご協力をお願いしたい。

甲斐 誠三(かいせいぞう)
早稲田大卒、1960年代から98年まで、デイリースポーツ大阪本社のゴルフ担当記者。現役引退後は主に関西関係の取材を通じ、フリーライター。インターネットのゴルフ情報サイト「ゴルファーズ パラダイス」でコラム「三流ゴルフ記者万歳」を連載中。