日本ゴルフ界の未成熟部分と今後の対応策 こうすれば日本人男子選手もメジャーに勝てる!~小林 滋編~

「日本の男子選手は何故メジャーに勝てないのか!?」。これまであちらこちらで論議されてきたことであるが、その多くはプロゴルファー批判の色が濃いものであった。もちろん、当事者である選手の努力不足、研究不足は指摘されて当然ではあるが、いくら批判が繰り返されても、1900年代に日本人男子選手のメジャーチャンピオンは生まれなかった。おりしも、このところ若手選手を中心にアメリカツアーに挑戦したり、全英、全米オープンにトライするなど海外を目指すプレーヤーが増えている。そこでJGJA流に「何故日本の男子選手はメジャーに勝てないのか」││メジャーに勝つためにはどうすれば良いのかという建設的な意見をそれぞれの分野の論客にご執筆願った。

コースも人も技術も20年、30年先を見越した準備を今からすべき 小林 滋

一瞬の静寂の中、残り128ヤード。ピッチングウェッジで放たれたボールは放物線を描きグリーンに。ワン、ツー、スリーバウンド目にカップに吸い込まれた。静けさが歓喜の渦となった。1983年2月14日、あのハワイアンオープンの18番ホール、青木功の劇的なウイニング・イーグルの瞬間だった。
1970年、ジャンボ尾崎の出現により、ゴルフスタイルそのものが進化していった。とにかく遠くへ飛ばす魅力をゴルファー達に与えた。観るものに夢を与え、プレーするものに醍醐味を与えた。そんなジャンボが1973年、マスターズで8位に入った。快挙である。日本中が湧きかえった。
それから7年後の1980年USオープン。J・ニクラスとの4日間の死闘の末、2位となった青木功。そのプレーに皆″感動″した。
1982年全英オープンで4位だった倉本。中嶋常幸が3位に入った全米プロは1988年だった。これが4大メジャーのベスト・フィニッシュだ。ビッグネームが残した大いなる軌跡といえる。
しかし、何かが足りない。そう、4大メジャー・トーナメントの歴代優勝者に日本人の名前が無い。この度、「日本人がメジャーに勝つ方法」なるテーマの原稿依頼を受けた。まず、環境作りから始めよう。アメリカに広大な土地を買う。風の強い海沿いがベターだ。そこに18Hでも36Hでも良い。ゴルフ場を造る。世界の名コースからピックアップした名物ホールで構成するのも良い。半分はアメリカンスタイルで残りの半分はスコットランド風リンクスにする。アメリカンスタイルの方は、フェアウェイを絞り、ラフを伸ばす。もちろんグリーン廻りも。グリーンにもアンジュレーションをつける。USオープンのコース・セッティングにしておく。リンクスの方は、フェアウェイを硬くし、ラフは膝まで伸ばし、ブッシュも配置する。ポットバンカーも忘れずに。これで準備が整った。次に血液がB型の男の子ができるように配偶者を定める。アメリカで出産し、小さい頃から英語に慣れ親しませる。クラブを振れる年(3才位)になったら自分のコースで毎日練習させる。日常生活は、メンタル・トレーニングを含め、アメリカンスタイルの厳しさを身につける。肉を食って体力をつける。10才でクラブ・チャンピオンにでもなれたら、ここまで成功。成人になったときに182センチ、75キロ位になっていれば理想的。
今すぐ実行に移せば20年~30年後が楽しみ。物理的条件が揃った中、第2、第3のタイガー・ウッズやセルジオ・ガルシアのような、50年、いや、100年にひとりのプレーヤーになれたとしても、メジャーに勝てるか? やはり実力プラス″運″が必要だ。この″運″を呼び込むためにも日々努力が不可欠ということか。「日本人、メジャー制覇」の瞬間、自分がシャッターを切っていたら幸福だろうな。

〈プロフィール〉
小林 滋(こばやし・しげる)
フリーカメラマン。1970年週刊アサヒゴルフ入社。82年退社後、「ゴルフネットワーク」設立。海外ツアー取材の経験も豊富。