わたしにとっての「事実」~田野辺薫~

JGJA創立10周年によせて

日本のゴルフ界の活性化が叫ばれて久しい。日本ゴルフジャーナリスト協会では、創立10周年という節目を迎え、ジャーナリストという立場から、日本ゴルフ界をさらに発展させていくにはどうすべきか、協会としてどのような活動を行っていけばよいのか、会員の皆様にさまざまな助言・提言をいただいた。
わたしにとっての「事実」
JGJA会員
ゴルフ総合出版株式会社 代表取締役
田野辺薫

ジャーナリストそしてジャーナリズムが、いつまでも健康な体力を失わないでいるためには、常時「事実を見つめているか」という反省が必要である。
事実とは何か。おびただしいデータがある。それこそが事実だと思い込むのは誤認である。事実とは誰かが集めたデータではなく、自分の目で見た事実である。客観的な事実が、ゴロリと横たわっているわけでもなく、ドシンと居座っているわけでもない。その人が見たものだけが、その人にとっての事実である。
このように事実とは、その人にとっての事実があるだけである。そしてジャーナリストは、そういう事実を書き、報道するべきである。従って次のような場合は、反省が必要になる。
20年近い昔のことである。その日は、戸塚カントリー倶楽部西コース(神奈川県横浜市)で、日本プロゴルフマッチプレー選手権の決勝日であった。5月中旬だというのに氷雨でも降りそうなほど寒かった。青木功と誰かが決勝を争っていた。
プレスルームには記者たちがとぐろを巻いていた。これはおかしなことだ。マッチプレーはいつどのホールで決着するか判らない。記者たちは一人残らずフェアーウェーに出て、プレーヤーを追いかけているものと思ったら、プレスルームは満員である。アルコールで暖を取っている者さえいた。
青木功が勝った。インタビューが始まった。
「14番ホールの第2打は何番アイアンですか」と代表者が彼に質問した。
「ちょっと待て」と、まだ唇の褪めたままの青木プロが怒った声で言った。「俺はプレーをするのが商売だ。あなたたちは取材をするのが商売だろう。なぜ、取材に出ない。出ていたのはAさんとB君の二人だけじゃないか」
青木功の怒りは正しい。
インタビューで語られるデータは、青木功のデータにすぎない。記者はフェアーウェーに出て、自分自身の事実を発見し、それを書くべきである。インタビューはその補完である。
ゴルフジャーナリズムが『ゴルフ』だからという理由だけで、政治ジャーナリズムに比べマイナーになることはない。もしあるとすれば事実を書かず、ゴルフ界というコミュニティのもつ許容範囲の中で書くことを疑わなくなったときである。
これは覚悟の問題である。プロゴルファーも記者も、ゴルフ界という一つのコミュニティの中に棲んでいる。それだけに、『事実の報道よりも取材対象とのスムーズな関係維持を優先』しがちである。
そのことへの反省は、「自分の事実」を見ることの次に大切な、ジャーナリストの覚悟である。